ちりも積もれば or でかいことから
Day +83
残り時間がどんどん減っていく切迫感,西洋絵画だと「死」の象徴,…ってわけで、かなりネガティブなイメージのあるのが「砂時計」。定年に向かうサラリーマンの気持ちって、こんな感じかも。でも、実は一粒一粒は小さくても、時を経ることによって確実に積み上げてきた「山」ができているんですよね。ついつい減ってるところばかり気になりますが、ここ、見逃してはいけないなぁと最近改めて思います。
先日、60歳前後の方が多く集まる場で、お話させていだく機会があったのですが、
(ご興味ありましたらこちらURLより報告レポートありまぁ~す)http://www.ecozzeria.jp/wg/csr/csrwg-13.html
懇親会で個別にお話させていただくと、本当に魅力的な「山」をお持ちの方ばかりで、これがやはり歳を重ねる醍醐味なんだなぁと感じました。
その一方で、こんな“寓話”もあるんです。
「大きな壺を満杯にすることになりました。
最初に石を詰め込みました。
壺は満杯ですか?
いえいえ、まだまだ隙間がありました。
そこで、次に砂を入れ込みました。
壺は満杯ですか?
まだ少し余裕があるようです。
そこで、次に水を注ぎこみました。
水が壺の淵からあふれ出しました。
どうやら満杯になったようです。」
さて、この寓話の意味はなんでしょう?
自分の思い込みや限界を越えろというお話かと思いきや、その意味するところは、
“最初に細事(雑事)を詰め込むと、大きなものはあふれ出てしまう”
ということだそうです。
なるほどなぁ~
確かに、先に小さいことで自分をいっぱいにしちゃうと、大きなことできなくなっちゃいますよね。
「やることを決める前にやらないことを決める!」
というアドバイスにも似たご指摘ですよね。
矛盾するような「砂時計」と「壺」の話ですが、
“大きい絵を最初に描いて(壺)、地道の活動の積み上げ(砂時計)で自信を持って進んでいこう”
ってことかなと、まとめて考えてみることにしました(^^)