「指示待ち族」は悪いのか? 働き方改革の難しさ(不思議)
とあるボランティア活動(自治会とかPTAとかをご想像くださればと)の打ち合わせでの一コマ。
役員(各係)の担当決めをくじ引きで行うことになったのですが、参加者の一名がある係りの長に決まった際にかたくなに拒否。「私が役付きになっても何もできません!」の一点張り。
今年度の役員皆さまも、順番だから致し方なく義務を果たすという感じの方がほとんどなので、逆に、「一人のわがままが通るなら、私たちだって拒否したいですよ!」とのコメントが出てヒートアップ。実は私も、「しょうもないなぁ~」と思いつつ、「では〇〇さんは何ができるんですか?」と質問したところ、「(指示する側でなくて)指示されれば何でもやります」との回答。文字通りの「指示待ち族」の方だったのですが、皆さまはこういう方と一緒に仕事したいですか?
私はこういう方とは仕事はご一緒したくない派でしたが、最近になってちょっと変わってきました。人には得手不得手があるし、色々な「働き方」を受け入れていける組織ほど、これからはパフォーマンスもよくなると理解しだしたからです。9 to 5の終身雇用で働き手を集め続けることは、もはや不可能。ましてタレント人材は、自分のスタイルにあった働き方を求めています。「指示待ち族」というレッテルを貼って「使えない」と勝手に決めつけていては、人材を逃すことになりかねません。多様な人材の活用ができる柔軟性が求められる時代ってことかなと。
で、働き方改革。今までの働き方を見直そうということ自体はとても良いことだと思うのですが、よりもよって杓子定規にどの会社も時短(残業規制)のみが見直しポイント。この発想こそが、柔軟性のない働き方の温床そのものではないかと。
とは言え、長年かけて身に着けた働き方のスタイル。これをいきなり柔軟にいたしましょうと言っても、なかなかに実現できないのも確か。どうしても、わかりやすいところに集中しますよね。かくいう私も、本音のところでは、一人で判断して、てきぱき動いてくれる人のほうが、仕事しやすそうだとの思いは変わらないのです。
なんて話をある人にしていたら、「指示待ち族最高! 私だったらあれもこれもとなんでも頼んじゃう」とのお話し。なるほどなぁ。まだまだ私も未熟で、どんな人とも心豊かに一緒に仕事できるわけではないのだと認識しました。
ところで、くだんの方と打ち合わせ後にお話ししたら、「私でもできることがあるはずだと思って、役員を受けたんです。だからなんでも言ってください」とのことでした。うーん、本当は素直でいい人なんだ。やはり、まずはいろいろお願いするってことですね。