豊かな実りの源泉とは?
Day 1Y+186
先月、岡山県美作市(みまさかし)上山(うえやま)を訪問してきました。
人口165人、高齢化率39%の典型的な中山間地域(*いただいた資料より)で始まったモビリティプロジェクトの見学が主な目的です。
上山は元々「棚田(たなだ)」で有名な土地でしたが、過疎化に伴い耕作放棄地となっていたところを、現在再生に向けての活動が行われている場所でもあります。(*写真は訪問時のものです)
実は、訪問して素朴に疑問がわきました。
「そもそも、なんでこのような(一見して耕作に不向きな)土地に昔の人は田んぼを作ったんだろう?」
棚田の再生風景をリアルに眺め、その美しさに感動したのですが、やはり手間暇は普通の平地よりかかりそうだし、何か山間部に作るメリットがあるのかな…と。素人の自分には不思議さが増したのです。
「昔は白い米は山奥でないと食べれなかったからね」
地元のお年寄りの何気ない一言に、勝手に一つ大きく合点が。つまり、税金(年貢)を納める際の石高に載らない秘密財産を山奥に溜める機会が棚田だったのではないかと…。何せ山奥ですから「あんなところで収獲なんかできないだろう」と検地などなかっただろうし…ひょっとすると「あそこまで頑張ってるんだから」と目こぼしもあっかもしれません。つまり、棚田はあえての苦労を重ねての「豊さ」につながっていたのではないかな。
歴史的事実(あるいは他にちゃんとした理由がある)かどうかはわかりませんが、結構これって「実り」を考える上で示唆的だなと思います。
「人のしない/したくない苦労をする」
「既存の制度/システムの抜けをつく」
「いいよねあれも、と言わせる要素を持つ」
単なる「脱税」でしたら文句しか言いたくありませんが、大変さと美しさが理解できる「棚田」での収穫を見たら、「ならいいんじゃない」とコメントしそうです。
効率化とかレバレッジポイントとか、確かにビジネスを考える上でも大事なんですけど、回り道に見えるようなことしていかないと「実り」には近づかないのかも。
「何、ノスタルジー的なこと言っているの。耕作放棄地になってしまうのは経済的価値が結局ないからじゃない!」
うーん、先人の知恵って、そんなところだけで測れないのではないかと思うのですよね、きっと。何せ検免れてたんですから(測れない…w)
豊かな実りの源泉…って何だろう? とつぐづく考えさせられた時間にもなりました。ちなみ、棚田のお米、美味しかったです♪