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シニアリーマンリアル起業日記  「志事」を創業しよう! 

人生100年時代。「志事(しごと)」を色々な形で生み出し、歳を重ねるごとに働くことを通じてかっこよくなる大人をどんどん増やすんだい。という野望を持ったシニアリーマンの起業奮闘ぶりを、リアルに綴ります。これからのキャリア開発を考えるサラリーマン皆様に、ロールモデルならぬ抱腹絶倒のネタを捨て身?で供給するブログです。  *志事創業社のHPはこちら http://age100.tokyo/aboutus/

好き嫌いは中身よりスタイルで決まる?

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この歳(50代後半ですよ!w)になってくると、自分の好き嫌いがはっきりしてきていて、例えば対人関係でも「あぁ、この人とはうまくいきそうだ」とか「いやぁ、この方とはご一緒したくない」なんてことを、さくっと思ってしまったりします。

 

組織のトップに行くほどイエスマンを置きたがる…なんていう事例も、こんな「加齢」による価値観の硬直性にある、といった言説もうなずけますね。

 

耳に痛いことを言ってくれる人がどれだけ周りに居るかは、自己を振り返る大事な評価基準の一つ。特に立場的に偉くなってくる(あるいは思われるようになる)人ほど、注意が必要です。

 

でも、実は人に対する好き嫌い、特にコミュニケーションの快、不快の本質って、話の中身(コンテンツ/内容)より、スタイル(言いかた、立居振舞い)によって決まってくるのではないかなと。

 

「もっとこうした方が良いと思いますよ」と「こうしないとダメじゃないですか」と、同じ「こう」でも全然受け手側としての自分の印象変わりますよね。

 

私は個人的にはマウンティング(自分の優位性を表すために相手に対して示す行為)のスタイルを感じてしまうと、内容如何に関わらず、ムカッときてしまうタイプ。勿論、自分自身が少なからずやってきた行為ですから、より腹が立っちゃうんでしょうね。

 

人にはそれぞれ、好むコミュニケーションスタイルがあるし、TPOによっても変わってくるもの。スタイルが気になり、惜しいインプットを無視したり拒絶したりしてチャンスを逃すケースも起きてくる。コンテンツそのものは変わらないのに。

 

シニア起業して、色々な人と協働することが多くなり、好き嫌いのキャパシティが増えてもよさそうなものでしたが、実は自分の好むスタイルの方とばかりとお付き合いしていたかもしれません。苦手な人ともちゃんと時間とらないと…。

もっとも相手がこちらをどう思ってるかは、全くの別問題。「スタイルもコンテンツもどうしようもないなぁ」なんて、思われないよう精進するのが先決ですね。

 

見る人は見ている!

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ここ数週間で、超凹んだり、少し凸ったりしています。

 

起業して3年目ともなると、観るも触るも初めての興奮状態もだいぶ落ち着いてきて、良くも悪くも「日常」に馴染んできます。

娘から「お父さんはプレミアム・フライデーどころか、プレミアム・エブリデーだね」と突っ込まれても、笑顔で返せる心の余裕のようなものも生まれて来るわけです。

これが意外に曲者なんですね。

 

 

先日、とあるイベント終了後のアンケートで「前の方でどうどうとスマホ使うの止めてください」とのコメントが。

ああ! これ私のことだ。

司会進行役を任されていたのですが、会場風景を適宜スマホで写真撮っている最中にメッセージを受信。ついつい返信を打っていた場面を見とがめられたようです。

確かに司会がスマホいじってるなんて失礼ですよね。反省。

 

別の方からは別の機会に「自分の振る舞いを自覚してから人にコメントした方が良いのでは!」と、バッサリ切られる場面も。

ご指摘いただくまで、何も感じていなかった点だけに、お恥ずかしい限りで…。

 

とまぁ、おっかなびっくりの時にはできないようなことをしでかして、人様のヒンシュクを買ってしまいました。「慣れ」というか「弛み(たるみ)」というか。大きなミスって、自分ではできると思っている頃合いに生まれ易いこと、改めて痛感したしだいです。

 

ちょっと凸ったところでは、「HP拝見しました。起業の理念、とっても共感しました」と新しく知り合いになった方から、改めて声掛けいただいたこと。

自社のHP立ち上げながらも、訪問件数は伸びないし、いいね!もなかなかつかないなぁ…なんてちっちゃくも悩んでいたのですが、こうしたコメントを直にいただくと、数字じゃなくて、お一人お一人とのつながりなんだよなぁ、とつくづく感じます。

折角、いいご縁を沢山いただいてるのに、なかなか活かせていないし、お返しもできていない自分を、これまた嬉しさもありつつ痛感したしだいです。

 

ということで、今回の気づきは「見る人は見ている!」

他人の目を気にしてという意味ではなく、自分が自身をよく見ていることが大切ということ。堂々と胸を張れる自分がいるのかどうを、世間様はちゃんと認識してくださるということなんだなぁと。

 

インバウンドナビゲーター講座に参加して考えた 「お客様」と「おもてなし」

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先日、インバウンドナビゲーター講座の実地研修として、丸の内のバルホッピング(居酒屋巡り?)を、海外からの方と一緒にしてきました♪

 

直接お話した方だけでも、ウズベキスタン,フランス,中国,マレーシア,タイ,ドイツ,コロンビア,アメリカと、様々。こうした企画に参加される方々ですから、日本への興味深々。中には、それは普通の日本人は知らないでしょうの日本通の方も。

 

凄く楽しい時間になったのですが、そこでちょっと自分なりに気づいたことが。

それは「お客様」と「おもてなし」に関して。

 

実は会の始めは何となくぎこちなかったのです。講座受講生(日本人)と参加の外国の方々、初対面なので、いきなり盛り上がるのは勿論難しいのです。でも、バルホッピングが一軒目、二件目、三軒目と続くと、あちらこちらから大きな笑い声が! え? アルコール入って、一緒に美味いもの食べていれば当然じゃんと。

そうですね、その力は大きいのですが、ポイントは「一緒に」なんですね。

 

「お客様」と「おもてなし」というと、どうしても、もてなす側ともてなされる側に分かれてしまいがち。してさしあげる側と、してもらう側と言い換えても良いですね。こうなると、同じ時間と場所をいくら共有しても、お互いが心の底から交わるということは、可能性として起こりにくいのでは? 「サービスが悪い!」とか「お客様だから仕方がない…」といった、それぞれの立場でだけで考えると、良い体験につながらない。

"一緒に、今この場を楽しむ”

という想いをいかに形として共有できるかがポイントなのでは? 

 

「お金をもらっている/払っているの関係なのだから、両者には厳然として違いがある!」という考えは自分にもあります。しかしその考え方だけでは、窮屈すぎる。

勿論、プロフェッショナルならではの「おもてなし」というのが世の中にはたくさんあって、だからこその名店とか老舗なのですが、きっとそこには「無理」とか「わざとらしさ」とかを一切感じさせない「場」になっているはずだと思うのです。

 

 

そんなんこんなを考えた、楽しいバルホッピングの機会でした。

ちなみに、あまりにはしゃぎ過ぎて、どこかに眼鏡を忘れてきました(いまだに見つからず…泣き) 

…うん? 過ぎたるは猶及ばざるが如し? いえいえ、これもま良きネタに(^^;)

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家族にYesと言ってもらう方法とは? シニア起業の風景

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*一年半前(起業後半年くらい)の書きかけのブログ原稿があったので、完成してみました。…今思うと、そこまでちゃんと悩んだかなぁと思いつつ…(^^;)

 

 

Day +160

「よくご家族を説得できましたね~」

30年勤めた会社を辞めて起業したんですとお話をすると、かなりの確率でこうしたコメントをいただきます。自分で決断するのにもかなり悶々としますが、いざ決断の後に控えるは家族、特に連れ合い(パートナー)の承認。これ、確かに結構な心理的ハードルですよね。

 

一番良い準備は、「胆の据わった伴侶」を持つようにすること。「あなたの決めたことだから応援しますよ」と、笑顔で言ってくれれば言うことなしです。…って、これはもうなかなかに難しいというか、願望というか…(^^;)

でも、意外にこれに近い状況で起業できている方が多いのではないかと思っています。

 

 

起業を真剣に考えだすと、何せ振る舞いが怪しくなります。

一番近くにいるパートナーが、その素振りに気づかないはずはありません。

「本気? それとも単なる気の迷い?」

当人が知らないところで、観察され、きっちりと評価されているわけですね。

こちらから「実は起業を考えているんだけど…」と切り出した段階では、既に(大抵の場合)評価期間は終了しておいて、「無理、やめといたら」とか「いいんじゃない」とか、意外にあっさりと回答が出ちゃうんですよね。

 

 

悶々と悩みつつも、ついに本気でやろう!と決断したプロセス。ここが共有できているので(当人が知らない間にですがw)意外に賛同を得られるんでしょうね。

逆に、思い付きとか、考えが浅い段階で表明しちゃうと、それだけで反対されちゃう。

 

「え~、自分はあんなに悶々と真剣に悩んだのに反対されましたよ~」

という方も絶対いらっしゃるでしょうね。

そうなんです、最後は、「たとえ家族が反対でもやる!」という本気の覚悟があるかどうかですよね。

…なんか、親に反対されている相手と結婚するみたいな…(^^;)

 

 

 

「思い込み」を外すと見えてくるビジネスチャンス!

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バリアフリー

ユニバーサルデザイン

「インクルーシブ」

・・・

 

全ての人に分け隔てなくということは、大切なこと。

プロダクトデザインにおいてもこの概念はとても大事。

誰もがストレスなく使える仕組みを提供していくことは、超高齢社会の日本においては、まさに喫緊の課題。

 

ここに全く異論はないのですが、「誰もがストレスなく使える」の私の認識、だいぶずれていたなと頭にガツンと一撃の場面に、先日遭遇しました。

 

 

地域で活躍する方々の事例発表会を見学した時のこと。

活動事例の一つに「地域紹介ポータルをつくろう!」というものがありました。いわゆる「地域の魅力を対外的に発表しよう」という狙いのものです。

活動はもうすぐ三年目というところなのですが、既にサイトの運営がされていて、これがなかなかのもの。

外部に一部委託などして進められているのか、地域の中にWeb専門の方がいらっしゃるのだろうと、勝手に想像していたら…

 

「それでは〇〇さんにサイトの特徴など説明してもらいます」

と司会の方に促されて出てきた方は、どう見ても70歳は軽く越えていらっしゃる女性。

「こんな場で話す事は慣れてないんですが…」

と言いながらゆっくりしたペースながらもしっかりプレゼン(機器をいじりながら!)

「では次に△△さんにはサイトから生まれた活動を紹介してもらいます」

今度の方は、どうも80歳に届いているのではという男性。

スマホタブレットを必ず持ってくることを条件に茶話会を始めました。孫に薦められて購入したけど使い方が分からないとか、どのプランに入ったらお得なのかとか、みんなでわいわいと話してます」

いわば、IT談議が茶飲み話題になっていて、それを楽しんでいらっしゃる!

 

 

「サイトをつくろう!」ということで、始めた活動。月一で、外部の専門家がアドバイザーとしてついているものの、集まった方々は、これまでIT機器などに触ったこともない高齢者の方がほとんど。それが、今では自主的にサイト運営ができるまでに使いこなされています。「なんだかよく分からないね~」と言いながら。

 

どんなに機器を使いやすくしても、それが使う事の理由にはなりません。離れて住む親にスマホ持たせようと思って「シニアにも安心、字が大きい!」(そんな宣伝文句の機種があるかどうかは知りませんが)というモデルを選んで渡しても、ほとんど意味はないんですよね。多少使いにくくても、使いたいと思う気持ちがあれば使うし、使いこなせないと思ったものが少し馴染んできた瞬間に面白さも感じる。

「誰もが使いやすい」を単純に追い求めても、それだけでは”売れる機器”にはならないということですね。

 

「それはターゲティングが不十分なんだよ。ペルソナを具体的に想定してないから…」マーケティングをご存知の方からは、そういう突っ込みもありそうですね。

実はそこなんです、私が頭をガツンと殴られたポイントは。ターゲティングやペルソナそのものが「思い込み」じゃないかということ。

 

”お年寄りはIT機器が使えないので使いやすい機器を提供” 

”IT機器に興味関心ある層にターゲティングして市場を深堀”

結局のところ、相手の将来の可能性を無視した「思い込み」

この「思い込み」を外すと、新しいビジネスチャンスが見えてくる気がします。

「70歳以上限定 初心者のためのIT茶話会…」こんな企画アイデア、少なくとも私には思いつきません。

 

 

「思い込み」無くすことはできませんが、意識することはできそうです。

ここ、とっても実感しているところです。

 

 

 

「Vision」を創り、共有するのは人類の証し?  ~ラスコー展で膨らむ妄想~

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国立科学博物館で開催されている

特別展「世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜」

に行ってきました。

 

芸術の始まりともいわれるラスコー洞窟壁画の展覧会。勿論、本物ではありませんが実物大のレプリカ(再現壁画、ラスコー3と呼称するそうです)の圧倒的な迫力に大感動。

 

教科書などでお馴染みだったはずなのですが、「洞窟の中」で観る印象はこれまでと全く異なり、いつの間にやら、2万年前に壁画を描いた人々と気持ちがシンクロするような不思議な感覚に。素晴らしい壁画に感心し、驚いたということもあるのでしょうが、「なるほど、当時ここにいた人たちはこんな風に感じていたんだなぁ」と自然に受け入れている自分!(それが大いなる誤解だとしても)

 

 

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「何で2万年前の人と、シンクロするんだろう?」

むくむくと興味が湧き、公式図録や、ラスコー壁画×人類(クロマニヨン人)の頭の中検索ワードで引っかかった(≒面白そうな)書籍を購入。インプット量を増やして、理解を深めようという魂胆です。

 

『ヒトの起源を探して』イアン・タッタソール著

「壁画の明らかな特性とその複雑な並べ方を考え合わせると、この作品がただの具象作品ではないことが急に分かってくる。これは象徴なのだ。・・・ 今日の人類に何よりも共通しているものが一つあるとするなら、それは象徴的な能力だからである。・・・私たち人間は・・・かなりの程度まで脳が作りだした世界の中で暮らしている」

「・・・象徴化の感性がヒトの歴史のかなり古い段階ですでに芽生えていた・・・その中で最も洗練され、丹念に仕上げられた初期の表現がクロマニヨン人の芸術作品だったのだ。」

 

ふむふむ、これはかなり腹落ちする説明だなぁ。ご先祖様の象徴化の表出として残った壁画を見てシンクロするのは、同型(系)の象徴化プロセスを自分の中に持っているからですね。

 

『ラスコー展 公式図録』

「ヒトに次いで知能が高いとされるチンパンジーに筆を持たせても、規則性の乏しい線を描くのがせいぜいで、彼らがモノの形や記号(表象)を描くことはないという。つまりそこには、他者が鑑賞する価値を生み出そうとする意志や工夫が見えず、その意味ではチンパンジーは芸術活動を行っていないのである」

 

ほほう。チンパンジーは絵が描けないと。つまり何かを表現して自分以外の別の”個体”に見せる/共有するということが、ヒトの特徴ってことですね。ラスコーの壁画が「鑑賞する価値」を生み出そうとして描かれたものかどうかは、分かりませんが、ビジュアル化するってことの行為そのものに、「観る人」として共振したのかも。

 

『第三のチンパンジー』 ジャレド・ダイアモンド

「野生のチンパンジーにもっと余裕ができ、絵具をつくる能力をもちあわせていれば、恐らく彼らも絵を描きはじめるようになるだろう。」

 

あれれ、こういうことをおっしゃる専門家もいるんだ。じゃあチンパンジーにも同じようにシンクロを感じる場面に出会うのかなぁ。うーん、そうは思いたくない自分がいるのも確か・・・。

 

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先週、「The Vision Boost Workshop」に(運営側でしたが)参加したのですが、その時の印象が、急にラスコー壁画のシンクロ体験とつながりました。

 

Visionの持つパワーと、逆にそれがいかにもろいもので、保持し続けることが難しいのかを実感したのですが、学んだのは、世の中を変えていくようなVisionをかかげ、そこに共鳴してくれる人をどれだけ持てるかが、Visionを支える一つの大きなポイントということ。

 

そうか、ここがラスコーの壁画に自分がシンクロした理由の一つかも。

 

2万年前に、「Vision」(≒想い/意図)を描いた人がいて、そのVisionに共鳴しちゃったんだね。実際の意図は知らなくても、感覚として「いいね!」が共有できたということではないかな。

 

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待てよ、そうなると、ヒトの進化って、そろそろまずいかも。

 

例えばAIでもなんでもいいけど、ヒトが考える以上の「Vision」を描く存在がでてきて、「これ、いいね!」って多くの人が思えるんだったら、ヒトは象徴化なんかしなくてもよくなっちゃう。

そうなるとヒトも主役から落っこちって、単なる端末(センサー)になっちゃうよね。既に無目的(≒無自覚)に、例えば歩きスマホとかお勧めコメントで日常の「選択」をしている人、溢れいてるし。

 

しかし、別の視点でみれば、これって新たなヒトの進化にもつながるのかも。

時間や場所を越えて、Aさんの体験をXさんが、メディアなど通さずダイレクトに共有できるような一つのネットワークとしてつながるとか。時空を越えた一つの集合体としてのヒトの誕生ってなことになったりして。

 

 

ラスコーの壁画と、感動のワークショップの影響で、妄想が膨らむ膨らむ♪

これこそが、人類の証ですね・・・多分(^^;)

 

 

AIにはできないこと? 生活者視点でビジネスを考える

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昨日は「地域で活きる! 第3回 ともに成長する企業編」というテーマで、東大和市にある中小企業大学校東京校にてビジネストさんと一緒にワークショップを開催しました。


 ゲスト登壇者は、非営利型株式会社Poraris(http://polaris-npc.com/)ファウンダーの市川望美さんと代表取締役の大槻昌美さん。

主に働くお母様方を中心に、地域での「仕事作り」や「働く場/スタイル」の提供など「様々な仕組み創りに取り組んで」おられ「未来におけるあたりまえのはたらき方」を創ることをミッションとされています。

 

予想?に反して、参加者のほとんどが男性! しかもバリバリのビジネスマン経験をお持ちの方が多く、企画側としてもちょっとびっくり。そのおかげか、ビジネスマン的勝手な思い込みに気づくなど、とても学びの多い時間となりました。

 

「地方創生」とか「地域活性化」といった話題は、今やビジネス話題の定番の一つです。「よそもの、ばかもの、わかものの視点が大切」とか「地域にある今は見えていない”資源”を活用して」とかいったことは、ちょっとかじった人ならすぐにコメントできます。「まずはその地域の課題に着目して」といったアプローチも王道です。ところが、こうした取り組みの結果として、各地域で似たような「プロジェクト」が乱立して市場を食い合い、関係者の疲弊と不満だけが蔓延していくという光景が、結構な確率で見られるのも事実です。

 

昨日のポラリスさんからのお話や皆さんとの意見交換から学んだことは、

「生活者視点という肌感覚」

の大切さです。

 

以下は自分が欠けているなぁと思った「肌感覚」にまつわる視点です

1.「地方」だとか「地域」と呼ばれる共通の場所は日本全国のどこにもない

 地名は勿論、気候風土、そこに住んでいる方々が全て異なるのに一律で考えがち

2.「地域」の中にある多様性を理解していない

 都会に住んでいる人は〇〇だ。主婦の方は△△で困っている…本当?

3.「生活」の時間軸が部分的、断続的

 週末暮らすところ、寝に帰る、地域行事に参加…それだけ?

4.「家族」としての役割、成長

 奥様や子どもがそれぞれに地域コミュニティの顔を持っている!

そして何より

5.「地域」のことをほとんど知らない/好きなところを言えない自分…

 

「地域で活きる!」をテーマに3回続けてきたワークショップでしたが、「生活の場」という視点が綺麗さっぱり落ちていての議論が、一番リアリティなかったんだなぁと感じ入ったしだいです。

これって、AIには持てない視点かもしれませんね。ビッグデータからの帰納法的発想ではなくて、「これ今日かけてると困るじゃん」という肌感覚にによる演繹的発想。

 

うーん、一番勉強したかもしれないぞ私…元が低すぎたってことですねw